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ADHDの辛さわかった51才。発達障害のわが子にしてあげたいこと。

辛かった子育て時代


上の子は現在24才。
5才でADHDの疑い。

下の子は現在22才。
3才で高機能自閉症と診断されました。

当時は発達障害という言葉を聞いたことも
なく、図書館でたくさん本を探しました。

私の周囲の人も、発達障害について知って
いる人はほとんどいませんでした。

誰に相談しても、「気にしすぎ」としか言われ
ず、不安でいっぱいでした。

唯一、アメリカで小学校の先生をしている
姉が、子供への必要なサポートの重要性と
その方法を知っていました。


今のようにラインはなく、滅多に電話もで
きませんでした。年に一度、姉が帰国すると
子供への関わり方を教えてもらいました。


上の子が8才の時に、診断名がついた子供
限定で、受けられるサポートを知りました。
そこで担当してくださった先生が素晴らし
くて、その先生のアドバイスは全て実行し
ました。

その先生に出会えたことに、今でも感謝で
いっぱいです。

上の子が中学生になると、その先生が異動
されて、サポートは受けなくなりました。

私は上の子が苦手なところをサポートして
あげたいと思うあまり、上の子のできてい
ないところばかりに目がいっていました。


そのせいで、上の子は自己肯定感の低い子
になってしまいました。
かわいそうなことをしました。

3年前にわかった、私のADHD

 私は3年前に、転職をしました。私の度
重なるミスと対人スキルの低さから、いじめ
を受けました。

心身に不調をきたし、もともと鬱で通院
した精神科で相談をしました。

私のミスの多さから、ADHDと診断され
ました。

今は、2種類の薬を飲んでいます。

上の子は、『ADHDの疑い』で、薬を飲むこ
とはありませんでした。

”私のほうが重症じゃん。”

皮肉なもんです。

さんざん子供のサポートをしてきたのに、
自分の発達障害には気づきませんでした。



私のADHDの辛さと気づき

私の職場での現状は

一生懸命にやっているのに、ミスをして
しまう自分が悲しい。


今日も周りにあきれられながら、冷たい目で
 見られながら、仕事をする。


職場で一人、周囲の会話にも入れない

家に帰っても、職場での状況は誰にも言えない

 正直、ADHDがこんなに辛いとは思わなかった
です。

 でもおかげで、私が今まで、自分の子供の痛み
をまったくわかっていなかったことに気づきまし
た。
 
 ”こんなに辛い思いをしていたなんて…。
 よくこれまで生きてきてくれた。”

子供に、感謝の気持ちでいっぱいです。

私が職場で怒られ続けたことで、私が
子供に独りよがりな教育を押し付けて
きたことに気づくことができました。

今の私が過去に戻って、子供にしてあげたいことは

ADHDの辛さを体験した私が、過去に戻れる
なら、子育ての目標とすること



・ミスをしようが何をしようが、あなたはそ
 のままで素晴らしいと伝える


・子供が好きなこと、楽しいことをどんどん
 見つけて挑戦させる


出来たことではなく、頑張ったことをほめる


こういうマインドでいくと幸せにな
れるかな?

・自分がミスをして周りに迷惑をかけること
が避けられないかもしれないから、人の失敗
を責めない。

・いつ迷惑をかけるかわからないから、すす
 んで人に親切に。

・人に怒られても、あっけらかんと深刻に
 ならない


・人は、分かり合えなくて当たり前。
 こっちに障害があれば、なおさらわかって
 もらえなくて当たり前と考える。
 
 だからこそ、気持ちが触れ合えた時が
 奇跡。


・上手くいかない時は、自分のせい。
 上手くいった時は、お陰様。


私もこんな風に生きていたら、もっと幸
せになれてたと思います。

もう51才。だけどまだ51才。
新しいマインドで、想像を超えた幸せを
探求中!

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